プロフィール

はじめまして。川本正己と申します。私は治療家として、さまざまな患者さんの治療に携わってきました。

 

「治療家」という職業に聞きなれない方は多いとは思いますが、患者さんの症状の回復に貢献できるよう、日々努力しております。

 

私がこのような活動をしているのは、治療家であった祖父の影響が大きいです。そして、幼少期のころから祖父の教えを受けながら活動を続けていくうちに、私独自の治療法を編み出すことができ、「この治療法を広めれば、もっと多くの患者さんを救えるのではないか」と考えたのです。

 

そして祖父・重雄は、私が小学校4年生の頃から、自身の技術を私に指導するようになりました。

 

小学校4年生のとき、祖父の後継者に決まる
私の祖父の重雄(母親の父親)は、数々の大臣を施術してきた経歴がある有名な治療家でした。しかし祖父・重雄には、私の母親しか子供がおらず、重雄の治療法を継承する者がいませんでした。

 

そこで重雄は、私の両親にある提案をしていました。その提案とは、「私を含めて3人いる孫のうち、1人を川本家に養子として受け入れたい」というものでした。私の両親も重雄の治療が途絶えることを危惧していたため、その提案を受け入れました。

 

提案を了承してもらった重雄は、「3人の中から誰を養子にし、後を継がせるか」を決めるため、ある方法を採ることにしました。それは、「私たち兄弟3人にさまざまなテストを受けさせ、3人の中で最も優れていた者を養子にする」というものでした。

 

祖父が実施したテストには、「私たち兄弟3人を遊園地に連れていき、お金の使い方をチェックする」「祖父が所有する大量の盆栽の手入れをさせ、根気強さや忍耐力を見る」「祖父の体を治療させ、1人1人の技術力を確かめる」など、実にいろいろなものがありました。

 

それに加えて、私たち3人の学校の成績や日常生活での様子などまで、祖父は欠かさずにチェックしていました。

 

そうして、多種のテストを終え、重雄は私を養子として選びました。これは、私が小学校4年のときです。

 

養子入り後、祖父による本格的な指導が始まる
養子に入りが決定してから、重雄の英才教育に拍車がかかりました。重雄がそれほどまでに焦り、教育したのは理由があります。それは、私と重雄は孫と祖父の関係であり、年齢差が60歳もあるからでした。

 

つまり、自分の方が早く死を迎えることはあきらかで、その死はいつ訪れるか分からないので、1日、1日が必死だったようです。

 

重雄は私に対し、気功師が病気を治す原理や皮膚刺激の必要性、その他にも心理や体の構造について教えてくれました。

 

ときには、祖父・重雄から自身が勧める本を与えられ、「この期間内に読んで感想を書くように」といった宿題を出されることもしばしばありました。

 

さらに高校生になると、祖父・重雄との同居が始まったことで、祖父による食事教育が行われるようになりました。

 

例えば、年寄り(祖父母)の食べている食事内容を見たときに、「なぜ、このような食事を摂っていると思うか」などの質問を頻繁にぶつけられました。また、「年をとることで、体内の臓器・器官はどのようにして衰えていくのか」について教わりました。

 

祖父・重雄は晩年、「年をとる」ことについて書いている本が少ないと言っていました。そして、「若者が年をとったときの体内の変化を知るすべがないことで、人は同じ過ちをくりかえすのだ」と言っていました。

 

そのため祖父は、「正己(私)には、年をとると身体や思考がどうなるのかを伝えておきたい」と言っていました。

 

祖父を通してそのような知識も得ることができ、私は身体の構造や栄養素の必要性などにも詳しくなっていったのです。

 

重雄の説法による影響を受け、勉強以外に中学から続けていたラグビーでもキャプテンになり、今までにない練習法を取り入れるなど、自ら思考を凝らしました。重雄から多くの知識を得ていた私は、自分自身も気がつかないうちに、「心・技・体」が充実していた時期だったと、今振り返れば思います。

 

そして、高校3年の時には大阪の代表選手に選ばれ、国民体育大会(国体)で全国優勝しました。

 

また、そのことで学力・スポーツが優秀であると評され「高松宮賞」を授与して頂きました。
後で聞いたところ、全国で数名しか授与されない名誉ある賞であることを知りました。そのような名誉ある賞を頂けたのも、重雄の他分野にわたる説法のお陰だと感じました。

 

大学生のときに怪我をし、治療家を目指す決意をする
大学に入ると、私は重雄の体を頻繁に治療するようになりました。また成長に合わせ、多くの教えを説いてもらいました。

 

この時期の説法内容は、「体と心の繋がり」のことが多く、祖父は「病気を治すには、手での施術が必須である」といつも言っていました。

 

その理由として、祖父は「皮膚を触ることが究極のスキンシップだ」と考えていたからです。

 

またこの頃の私は、祖父の知識と技術が徐々にミックスされ、施術することに喜びを感じ始めていました。大学ではクラブやゼミを全力で行いながら、時間のあるときは、知り合いの体を治療できるレベルに達していました。

 

また、ここで私にとって転機がきました。大学4年生の時に、ラグビーで23歳以下の日本代表の候補に選出される可能性が出てきたのです。

 

しかし、私は大事な選考試合の前に怪我をしてしまい、23歳以下の日本代表には選出されませんでした。

 

そのことを知った重雄は、私に対して「この時期に日本代表になれないなら、先はない。ラグビーは諦めなさい」と告げました。

 

私はその言葉に憤りを感じ、かなり反抗したことを憶えています。なぜなら、ただ一回、選考に漏れただけにすぎず、プレイヤーとしては十分やっていけるレベルだったからです。また年齢的にもこれからという時期に重雄から最後通達を受けたため、納得はいきませんでした。

 

しかし、私も心の奥底では、自分の体格や筋力から考えると、今後ラグビー界で活躍していくのは難しいとも感じていました。

 

そのことを悟ってか、重雄の的確な一言で、私の迷いは消えました。そして、祖父の意見に納得し、祖父と同じく治療家になる道を選択しました。

 

専門学校時代の苦労と祖父・重雄の死
大学卒業後、私は専門学校に通うようになりました。そして23歳のときにカイロプラクティックの免許を取得し、その2年後に柔道整復師の免許を取得しました。

 

このとき、70歳で一度引退した祖父・重雄は、81歳で現役に復帰してくれました。そして88歳で亡くなるまでの約7年の間、私は同じ部屋で重雄の施術法とその理論を学び続けました。

 

しかし、私が治療の仕事を継ぐと決まってからの重雄の態度は、より厳格になりました。

 

例えば、重雄は自分を慕ってくる患者さんは自分だけの患者として、一切、私に紹介してくれませんでした。

 

その理由は「レベルが違い過ぎるから」の一言だけでした。さらに祖父は「自分の患者は自分で開拓する。これは常識だ」と私に言いました。この頃の私の生活は、朝に重雄の施術を見て、昼から専門学校で勉強し、夕方からは私の施術を重雄が見るというものでした。

 

また、患者さんが少ない私に対し、重雄は軽トラックを中古で購入してくれました。そのときは「なぜ軽トラックなのか」について意味が理解できませんでした。

 

このとき祖父が考えていたのは、「患者さんは待っていても来ないので軽トラックにベッドを乗せて、家を一軒一軒回って新規開拓をしなさい」ということでした。

 

それから、知り合いに連絡し「無料で良いから治療をさせて下さい」と依頼し、平日の施術終了後や土曜、日曜に軽トラックで出張していました。

 

この頃の私は施術台をトラックに積み、母親の知人や、大学の友人のお母さんなどの知り合いに頼み込み、無料で施術をさせてもらっていました。

 

この当時はひたすら全力で施術に取り組んでいました。このとき、人によっては「次はいつ来てくれますか?」と言ってくれるようになり、継続的に施術を受けてくれる患者さんがいました。その一方で、「受けたいときにまた連絡します」と言ったきり、連絡をくれないままになる患者さんもいました。

 

そうして、さまざまな方の施術を行っていくうちに、「患者さんを継続的に満足させることの難しさ」を痛感しました。このときは、「まだ自分の技術レベルが低い」と考え、祖父からの指導と患者さんの施術をくり返し、ひたすらレベルアップに励んでいきました。

 

このような努力を重ねていくうちに、私の施術を受けてくれる患者さんが増えていきました。それに伴い、軽トラックで出張する頻度を徐々に減らしていき、祖父のベッドの横で施術を受けてもらうようにしました。

 

このとき私は、「自分のレベルを高められた」と感じてうれしく思っていました。それと同時に、私の施術を受けてくださる患者さんへの深い感謝の気持ちで、心が満ち溢れていました。

 

その後遂に、そのときが来ました。私が28歳のとき、祖父・重雄が88歳で永眠しました。そしてその数カ月後には、恐れていたことが早速起こりました。

 

このときは自然な成り行きで、祖父・重雄が診ていた患者さんを、私が継続して施術することになりました。最初は、「若先生、上手になられたねー、大先生の施術と同じような感じがしますよ」と多くの患者さんからお褒めの言葉を頂きました。

 

ところが、数か月後から重雄が診ていた患者さんから予約キャンセルの電話が多くかかるようになりました。祖父・重雄の患者さんは7〜8か月のうちに90%以上減ってしまったのです。

 

その理由は、私自身が一番理解していました。当時の私は、祖父・重雄の後を追うばかりでした。患者さんに施術をし始めたころに比べれば、技術レベルは大きく向上していたものの、祖父・重雄には到底及ばない状態でした。そのため、重雄の治療に満足していた患者さんは、重雄の施術の劣化版に過ぎない私の施術では満足していただけなかったのです。

 

このとき私は、「祖父の後を追うだけでは、祖父と比べられてしまう」「このままでは、祖父に勝つことはできない」と感じました。当時はようやく自分の実力が上がってきたと思ってきたころでしたが、このときの私は無力感によって心が折れそうになっていました。

 

祖父を超えるため、試行錯誤を始める
祖父・重雄が他界したあと、「祖父・重雄の後を追うのではなく、自分独自の治療法を編み出して祖父を超える」ことを決心し、自ら試行錯誤を始めました。

 

自分オリジナルの施術を構築するために導き出した結論は、

 

・伝統的な手の治療は継承していく
・現代人に特有の病気である「脳が関係する病気」を回復する方法を構築する

 

この2つでした。そして、これら2点を中心にし、施術していくことを決意しました。

 

幸い、川本治療所は昭和11年に開設したため、その時代によって多く発症した病気のデータがありました。

 

そのデータをみても、重雄が施術していた頃には、慢性疲労症候群やうつ病、またはアレルギーや自己免疫疾患を患う人は少数でした。

 

しかし、私が施術を開始した時期から、このような症状を訴える人が急増しました。上記した症状は、脳が関係していることでの発症ではと考えました。そして、栄養学や脳とホルモンの関係についての勉強を開始しました。

 

その時期に、また転機がおとずれました

 

腰痛で両足が痺れ、車いすで来院した患者さんがいました。このとき私は患者さんに「腰付近から足のみの施術となります」と伝え、了承して頂きました。つまり、腰から足へのアプローチで、上半身への施術は一切しませんでした。

 

腰のみの施術を継続しているときに、その患者さんから「先生、私はよく風邪を引く体質だったのに、先生の施術を受けるようになって、風邪症状が無くなりました」との報告を受けたのです。

 

その一言が、私のオリジナル治療が構築されるきっかけになりました。

 

実際に川本療法を継続的に受けると、多くの人から「風邪を引かなくなりました」との意見をいただきます。しかし、なぜこうした意見が出てくるのかは、当時の私にはわかりませんでした。

 

このときまで、風邪引き体質の方への施術は、肺や気管支へのアプローチを行って、症状の改善を図ってきました。

 

しかしこのとき行ったのは、腰から足のみの施術です。肺や気管支へのアプローチはしていないのにも関わらず、風邪症状が改善したとの報告を受けたのです。

 

そのことに私は不思議に思い、腰付近に免疫と関係する臓器やツボがあるのではないかと考え、関連する文献を読みあさりました。その結果、腎臓の近くにある副腎という臓器が、私たち人間の免疫に関係していることがわかってきました。

 

副腎は脳の命令を受け、ストレスに対応するためのホルモン(体内の化学物質)を合成します。さらに現代人は、多くのストレスを抱えて生活しています。このことにより、脳は絶えず副腎に対し、ホルモンを合成するように命令を出します。

 

真面目な副腎は一生懸命ホルモンを合成しますが、やがて副腎は疲れてしまいます。その結果、ホルモンの質や量が低下します。副腎が弱ると、ホルモンの質・量が低下する以外に、人体を守る免疫(白血球)の働きが低下してしまうのです。

 

副腎と免疫の関係について勉強していくと、上述したような関係がわかってきました。

 

そのことで、長年、疑問に思っていた「腰付近のみの治療でなぜ風邪引き体質が治るケースがあるのか」の答えを紐解くことができたのです。

 

副腎はさまざまな病気と関係している
副腎は免疫だけでなく、現代人に増えているうつ症状や慢性疲労症候群の発症にも大きく関与していると考えられています。

 

晩年、祖父・重雄が語っていた「今後の治療は難しくなる。なぜなら、脳が関係する病気が増えているからだ」という言葉は、常に私の頭にありました。

 

その一方で、副腎のことを理解していくことで、今後増えるであろう脳の病気にも対処できる可能性が高まり、興奮したことを憶えています。

 

さらに、最近では「脳シグナルの乱れと病気の関係について」をテーマにし、施術に取り組んでいます。

 

現代人の仕事は、体よりも脳を多く使います。また、対人関係や「多くの目標を達成したい」などの理由から、頑張り過ぎる傾向にあります。

 

その結果、脳には多くの栄養素が必要になってきました。しかし、現代社会では食材の質が悪く、添加物などの化学物質も多いです。また土壌や海洋汚染がすすみ、自然界が保有するミネラル類も大幅に減少しています。

 

そのような状況下であるにも関わらず、脳を使う頻度は多くなっていることで、脳は栄養不足に陥ります。

 

近年、熱中症が増加し、不眠症やうつ症状、またはアルツハイマーなど脳が関係する症状が増えた理由に、脳への栄養不足があるのではないかと私は推測しています。つまり、「脳のシグナルが乱れることが病気の原因である」と私は考えています。

 

脳は、過去のトラウマやストレスへの対応、または煩悩を叶えようと頑張り過ぎることで疲弊します。

 

脳が疲れると、脳は内臓や内分泌器官に対して「脳に必要な物質」の合成を要求します。しかし、脳が要求する物質の質・量が低下すると、脳の疲れは改善しません。そのことで、脳からのシグナルが乱れ、身体の各部分に症状が出ます。この状態をいわゆる病気といいます。

 

そこで私は、脳シグナルを正すために、栄養学に加え、皮膚刺激を施し自律神経の安定を図っています。

 

また、脳が疲弊する外的要因(家族関係や職場での人間関係など)もカウンセリングし、解決していく努力をしています。

 

つまり、病気を改善させるには、「総合力が必要」ということです。

 

世の中において、病気の治療でよく言われていることとして、「これを飲むと○○病が治る」「これをすると○○が改善する」といった言葉があります。しかし、「そのような単純なことでは病気は改善しない」と、私は考えています。

 

そして、私が病気の治療に必要だと考えているものは総合力です。総合力とは、施術経験・身体の構造学・栄養学・心理学などです。これらがミックスされて、初めて治療効果に繋がると私は思っています。

 

こうして経験を積み、重雄の施術法や教育に自分の経験が重なり、現在はさらに高度な施術を提供できるようになっています。今後も続く多くの病気に対し、この仕事に誇りをもって、日々精進しています。

 

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