クローン病回復傾向 経過blog紹介

西宮で自己免疫を中心に施術している川本治療所・川本です。

(注)改善報告を掲載させて頂いていますが、川本療法で改善したわけではありません。

川本療法の考えの根幹である「自宅ケア」を患者さん自身、または家族の協力によって、継続努力したことで改善したと考えています。

医師や治療家は病気を治すことはできません。ただ、改善方向に導くための「道しるべ」をお伝えすることはできます。

今後も精進し、良い「道しるべ」を提案できるように努力していきたいと思います

 

■お知らせです。私が監修している「アドレナル・セラピー(副腎)」が「商標登録」できました。

関係者、ならびにアドレナル・セラピストの皆様、本当にありがとうございました。


アドレナル・セラピー ®

アドレナル・セラピーは現在、3期生が受講中で、11月から「自立へ」の講座が始まります。

4期目のアドレナル・セラピー「自分へ」は2020年 3月、大阪と東京で開催予定です。

 

■11月予定

・11月7・8・9日 東京(青山一丁目)施術 募集終了

・11月12・13日 名古屋伏見 キャンセル待ち

・11月10日 アドレナル・セラピーの最後のセッション 「自立へ」開始 募集はしていません。

その他は西宮の川本治療所で施術 若干名募集

 

■■クローン病回復傾向 お母様からのメール紹介

長文ですので、ご興味がある方はご覧ください。

 

息子のクローン病治療体験記(改善途中)
21歳男子 愛知県
発病17歳
難病認定18歳

赤ん坊のころから保育園まで病気の多い子でした。

生まれたのは破水から65時間後。
黄疸があり細菌の感染値が高いと言われました。
幸い紫外線治療で黄疸も収まり、細菌の感染値もすぐに下がりました。

0才の頃アトピーで顔が腫れ、汁が出ていました。
ステロイドの軟膏を処方されていました。
顔の腫れが引くと、とてもかわいい赤ちゃんでした。

1才の頃風邪で近所の小児科に通っていましたが、肺炎になり入院しました。
それ以外にも熱を出すことが多く、40℃を超えることもあり心配がつきませんでした。

3才の頃小児喘息になりました。
家で毎日吸入をするようになりました。
時々夜間救急に駆け込み点滴を受けることもありました。

同じく3才の頃てんかん発作を起こし入院しました。
呼吸が止まり、救急車で病院に運ばれました。
強い薬を打たないと発作が治まら25分後にやっと自発呼吸が戻りました。
医師が後遺症が出ていないか、何度も病室に見に来ましたが幸い何もありませんでした。

この頃、てんかんと喘息で1ヶ月に3回も入院しました。

小学校に上がると、皮膚の乾燥による痒みはあるもののほとんど病気をしなくなりました。
大きくなって抵抗力も体力もついたのだと安心していました。

中学三年の受験生の時に、ストレスのせいかアトピーが再発しました。

高校生になり、花粉の季節には軽いアレルギー症状が出ることがありました。
高2の春放っておいたら、顔がひどく腫れました。
まぶたも腫れあがりかわいそうでした。
部活もあり、めんどくさくて病院に行かなかったのですが、さすがの見た目にやっと皮膚科へ行きました。

それ以外の不調はたいして無く、高校へ毎日元気に通っていました。

息子の体調が悪くなったのは高2の終わり頃でした。
お腹が痛いと言い、下痢や軟便が増えました。

高校受験の時にアトピーが再発した経験があり、大学受験のストレスがもう始まったのかと、あまり問題にしませんでした。

我慢できる程度の痛みだったこともあり、お腹の痛いことは続いていたものの日常を変わらずに過ごしていました。

高3の夏頃だったか、腹痛があまりに続くから一度病院に行こうと、息子と二人で近くの内科を受診しました。

そこで医師からも「受験ストレスでしょう。整腸剤出しておきます。」と言われ、やっぱりそうかと二人で納得しました。

その後も毎日自転車通学で、休むことなく学校へ通いました。

夕方家でお腹が痛いと丸まっている事もしばしばありましたが、学校に休まず通えていたこともあり深刻に考えませんでした。

腹痛が続く中、大学受験を迎えました。

朝から腹痛がある日は、乗りなれない電車で消耗しないよう受験会場まで車で送りました。
そして、大学に合格すると、腹痛以外に出ていた他の不調は無くなりました。

しかし腹痛は無くならないので、今度は市民病院を受診しました。

市民病院の内科では「専門じゃないからよくわからない。せっかく来てくれたから整腸剤出しておきます。」と記念品のように処方されました。

不信感を持ちました。

一応整腸剤は飲みました。 しかし腹痛は改善はしません。

大学が始まる前にと、もっと大きい病院を受診しました。

そこでは血液検査をし、炎症値が高すぎるからとCTを撮りました。

初診患者を診る内科医だったので、画像で腫れている事を確認し、
「至急大腸検査を受け消化器内科の医師に診断をしてもらいましょう。」という事になり、検査の予約を取り帰宅しました。

次の日大腸検査を受けた後、息子は別人のようにぐったりしてしまいました。
トイレに入ったまま、声をかけてもほとんど返事も返さず出てきません。

医師の指示で点滴をつけ、ベッドで横になって検査結果が出るのを待ちました。

結果が出たと呼ばれると、医師があわてたように話し始めました。
「大丈夫、仕事もできるよ。」とか「安倍さんは首相が出来ているんだから。」などと言われたように思います。

突然何を言い出したのかと訳がわかりませんでした。

そして告げられたのが「クローン病だと思う。」でした。

その頃その存在も知らなかったので、医師のあわてぶりが理解できませんでしたが、大変な事になっているのはわかりました。

即入院と言われましたが「明日から大学が始まるので、初日なので行きたい。」と伝えると、
「お母さんが大学まで送り迎えをして、少しでも今より悪化したら入院という条件で通院で治療しましょう。」と言ってくれました。

大腸の中が血だらけで、潰瘍が沢山できて狭くなり大腸カメラが通りにくい状態でした。

学食を食べるのを楽しみにしていたのですが、腸を休ませるために絶食が治療のスタートでした。
処方された薬を飲み、成分栄養剤を食事としました。

食べる事が出来ないので、成分栄養剤でカロリーと栄養を補給しないといけないのですが、成分栄養剤のエレンタールを飲むことに苦戦しました。

その栄養剤はとても飲めたもんじゃないようです。
1本300Kcalなので一日6本飲まなければならないのに、飲めません。
医師からの提案でポカリスエットで溶かすと、なんとか少し飲めました。

1本作るのにポカリ250ml使用します。毎日1.5L飲むことになります。

エレンタールを飲めるようになったのはいいのですが、糖分の取りすぎで身体がおかしくならないか心配でした。

少しずつ水を入れ、ポカリを減らすようにしました。
時間をかけましたが、水のみで飲めるようになりました。

処方された薬と絶食では炎症が治まらなかったので、ステロイドを飲むことになりました。

病気で体は痩せてしまったのに、顔だけがパンパンに丸くなりました。
感染予防のためにマスクをしていましたが、顔が隠れるので良かったです。

ステロイドを飲み終えてすぐの頃、7月にてんかん発作を起こしました。
3才に発作を起こした以降、毎年脳波を取り続け、中2で治ったと言われていたので全く頭にもありませんでした。

クローン病とてんかんのW病気持ちとなりました。

炎症が落ち着いたらおにぎりとエレンタールを弁当に持ち、一年間車で送り迎えをし大学に通いましたました。

前半はトラブルも多く大学へ通う事が大変でしたが、後半は少しの不調で安定して通う事ができました。

良くなっていると感じていた息子は二年からはアルバイトも始め、大学へも電車で通いはじめました。
するとじわじわ悪化し始めました。

医師からは生物学的製剤のヒュミラの自己注射を勧められましたが、免疫抑制剤を使った場合のリスクの大きさを思うと安易に受け入れられませんでした。

「それなら手術になってもいいのね!!」とヒステリックに言われました。

私も息子を守りたい一心で気持ちが高ぶりました。

改善の策を探して、息子と同じクローン病を克服した鍼灸師を知り、週に2回のペースで通いました。

するとすごく表情や態度が穏やかになり、いろいろ話をしてくれるようになりました。
身体が楽になったんだと嬉しくなりました。

そこに通うクローン病患者が、薬から離れて落ち着いた人が何人もいるとのことでとても期待しました。

しかし息子は悪化が止められず、11月に入院。
大学を一時休学しました。

大腸が腫れるとともに虫垂炎にもなっていました。
手術も出来ない状態で再びステロイド投与と静脈栄養で過ごしました。

炎症値が下がり、退院をゆるされるもすぐに高熱を出し、間一日あけて病院に戻りました。
虫垂が破裂していて手術となりました。

息子の場合鍼灸では改善できなかったので、覚悟を決めて大阪にある病院に行くことを決めました。

医療に疑問を持ったクローン病患者なら調べるとすぐに見つかる漢方で治療をする医院です。

12月の頭に初めての受診でした。

三種類の漢方薬を処方され、一日おきに二日分ずつ鍋で煮出します。
なかなかえぐい匂いと味です。

最初はむせながら飲んでいました。
病気を改善させるのは本当に大変です。

朝昼晩の食前、食後、食間に煮出した漢方薬を飲みます。
一日9回飲むのです。

大学にも小分けにして持参しました。
そして、保険適応にならないヘルペスの増殖予防の薬を飲みます。

しかし努力を続けるも体調は安定しません。
夏には体調が悪化しはじめました。

治まっていたてんかんの予兆も出始め、自費の薬を増やすように言われます。

そうすると年間100万円を超える治療費になります。
我が家には現実的ではありませんでした。
治るかもという期待を持てないまま続けることはできませんでした。

とうとう8月に再び入院になりました。
再び大学も一時休学しました。

入院ではステロイド投与と静脈栄養で安静にします。
ステロイドを投与しても腹痛がなかなか収まりませんでした。

途中熱を出し、入院は手術をした時より長い期間になりました。

息子は「入院のストレスで悪化しそうだから、早く家に帰りたい」ともらしていました。

退院すると、痩せて筋力も衰えた息子を自宅で見ることになります。
それでもやはりヒュミラは使いたくありません。

漢方での治療を受けているときも、私は改善している方法を探し続けていました。
そこで川本療法により難病でありながら生活を取り戻している人がいる事を知ります。

私自身が知識をつけて息子の力になりたいので、川本治療所で開催されているアドレナルセラピー講座を受講することに決めました。

今までの自分の当たり前がどんどん覆されていきました。
しかし医師のいう事より圧倒的に腑に落ち、納得することができたのです。

息子が入院したのは受講中のことでした。
私は川本療法にかけてみたいと思い、息子に話しました。

どれほど受け入れる気持ちがあったのかわかりませんが、息子もやってみると言いました。

彼も出来るだけ健全な身体でいたいという思いだからです。

それから川本先生の名古屋治療を毎月受けるようになり、息子が直接アドバイスを受けるようになりました。

体調に気を付けながら生活をしていましたが
春の花粉の時期には、大腸に痛みを感じ、炎症の数値も上がり、医師からの言葉に不安を覚え、悪化への恐怖でヒュミラを使おうか迷っていました。

私もやはり悪化の恐怖を感じ、21歳になっている本人が決断するのならまかせようと思いました。
難病で治らないと医師から言われているので、抵抗していてもいつも怖いのです。

その時川本先生が息子に「その痛みはクローン病の痛みと同じなの?」と質問してくださいました。

冷静になってみると、場所は同じだけど痛みは違うという事に気がつけました。
炎症の数値は上がっていても、体調はそれほど悪くなかったのです。
ヒュミラを使う事は思いとどまりました。

しかし本当にこのまま悪化しないのか、過去の経験からも不安ではありましたが、
川本先生の言うとおりで、薬を増やすことも無く乗り越えらたことは、彼自身の体の見つめ方を変えました。

炎症の数値が少し上がると、医師はすかさず「治療をすすめましょう」と言います。

しかし息子は「試してみたいので、次回まで待ってください」と言い、自分で回避できる確率が上がってきました。

振り返ると昨年の入院以後、医師の言う最小限の薬を飲む以外、少しも増やすことなく一年が過ぎました。

今も大学には送っていますが、帰りはほとんど自分で帰ってきます。

これはすごいことなんです。

まだ自由に出かけたり、好きなものを食べたりは出来ませんが、顔色が良く痛みの少ない生活を送れています。

改善途中ですが、息子の人生に希望が持てています。

■川本談 Kさん家族や本人さんの家族の努力の賜物です。

お母さんも多忙の中、アドレナル・セラピーの「もっと人へ」まで参加して頂きました。

何とか息子さんを治そういう気持ちの表れです。その気持ちが病気を快方に向かわせてくれたと思います。

そして、アドレナル・セラピーの根幹

「皮膚(神経)を刺激して脳→副腎ルートを整え免疫反応を正常化させる」

このことを、実践して頂いた結果です。本当によかったです。

 

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もしくは、川本治療所のお問い合わせフォームからメールください。

 

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