前院長・川本重雄(祖父)の思考

川本治療所にて。 今日は私の師匠(祖父)川本重雄の事を紹介します。

大正時代にアメリカの学問の脊椎神経学を学ぶ。

アメリカから取り寄せた当時の本(コピー))原本は友人が所有。

脳から出た神経が何番目の背骨を通って、どの内臓・器官に分布しているかを解剖して調べた本です。

川本家の宝物です。

故、重雄はこの背骨学に魅せられ、研究に没頭。昭和11年に、芦屋市に 内臓を専門に治療する治療院を開院し、病院では治りにくいとされる病気の治療に尽力を注ぎました。

当時のアメリカの学問の考えでは、
背骨が「ズレると」神経が圧迫され、 その先に命令がいかなくなる。そのことが病気の原因。と説明。

その理屈に納得した重雄は、その理論に基づき努力するも、背骨が簡単に「元の位置に戻るのか」 と疑問を持ち、アメリカに質問状を提出。

アメリカの協会の主張は当然変わらなかったなめに、重雄は「背骨の周りを緩める」 日本古来の伝統技術の「指圧法」をプラス。

アメリカの「脳脊椎神経学」に 日本の「指圧」をプラスしました。しかも筋肉を指圧するのではなく、 「神経」を「押す」という 独自の方法で、内臓の命令を活性します。

大正時代に、アメリカの学問に惚れ込むも、ダメなところには 疑問を持ちその改善法に日本の良い所を取り入れた事が、
当時としては斬新な発想と思います。

その考え方と技術で、
第36代 内閣総理大臣の阿部信行さんの 「肝臓病」を治し阿部信行さんから「国の財産」として評価されました。

阿部さんの働きかけで、日本初の川本指圧学校の設立の話を頂きましたが、重雄は一貫して、弟子の育成は 「徒弟制度」でしか無理と主張。

学校設立は、夢と消えていきました。

その後、 第68代、内閣総理大臣の大平正芳さんまでの縁のある大臣の治療をしてきました。

 

重雄没後、孫の私が治療を継承し、はや25年が経ちます。
病気の種類は全く違うようになり、 重雄が残した伝統を守るだけでは、現代病のに対し 結果を出す事は出来ません。

そこで私は川本指圧法に栄養学を加え、さらに医師と提携して現代病に取り組んでいます。
しかし、時代とともに新たな手法を加えたとしても、重雄が残した、「手で神経を指圧」するこの一点だけは、
こだわっていきたいと思います。

サブコンテンツ

このページの先頭へ